富士山に登った
この記事を書いている間に、ブラウザがクラッシュしました。
…プチフリの恨み節です。
さて、本題。
この間、富士山に登りました。
飲み屋仲間5人で早朝須走口5合目をスタートし、13時登頂、お鉢周りをして下山。
下山時には、強風の中、横殴りの雨と砂。死にそうです。
小学生の時、スイスイ登った記憶があるのですが、体力の衰えの為か最後は5メートル進んで10分休んでの繰り返しでした。
こんなに辛いのなら、もう二度と登りたくありません。
子供が富士山登りたいといっても絶対に一緒に登ろうとはいわないと思います。
登った翌日、フジテレビのとくダネ!で、「富士山登頂にハマる女性たち」といったような特集をやっていました。
若い女性登山客が増えているそうです。…目的はご来光。
テレビではかなりの女性登山客で5合目が賑わっていましたが、ルートと時間の違いでしょうか、そんな光景に出くわしませんでしたけどね。
で、テレビを見ていての感想は、感動したがっている女性が多いんだなぁということ。
「ここまでがんばった私がいて、ご来光を見ることができた」みたいな、リタイアする人も多いので「ここまでがんばった私がいて、でも頂上には行けなかった」みたいな。
自分をほめてあげるのはいいことですが、他の人からもほめてもらえるよう考えたらいかがでしょうか。
で、私はというと、何の感動もしませんでした。
達成感というのも、なんとなくしっくりこない感じです。
適当な言葉があるとすれば、「そこに富士山があったから」。
別にカッコイイことをいうつもりはなく、「富士山がたまたま目の前にあったから、回り道できないから登った」という感じです。
「回り道できない」とは、「飲み仲間の誘いを断れなかった」「一緒に登る仲間がいて、途中で投げ出すことができなかった」ということ。共通の目的が、たまたま富士山登頂ということだったということ。
まぁ、人生生きていれば、避けて通れないことってありますよね。それが今回富士山だったということです。
だって登るしか手がなかったんですもん。
それともう一つ、筒井康隆のゴジラの話のように、富士山はがんばったら感動させてくれるといった単純な場所ではないということ。
頑張ろうが、舐めてかかろうが、いずれにしても自然はそんなに甘くないし、一歩間違えは死に直面するし、ただただ自然の中で、人間は生かされているんだということを思い知らされました。
自然の脅威の中では、感動なんてちっぽけなもんですよ。
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