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2004.07.28

焼き場に立つ少年

原爆投下直後の長崎で米占領軍のカメラマン、ジョー・オダネル氏が撮った「焼き場に立つ少年(1945)」という1枚の写真があります。
有名な写真なので、ご存じの方も多いと思います。知らないという方は、こちらをご覧下さい。

先日、あるテレビ番組でこの写真を知りました。
何気なくテレビを見ていたときだったので、他のチャンネルに変えることはできたのですが、一瞬にして画面に釘付けになりました。

先日の記事で『イヤな感覚』について書きました。
この『イヤな感覚』から逃げたいと思う時もたまにあります。ただこの写真を見ると逃げてはいけないという気持ちにさせられます。

直立不動の少年のまなざし。少年の見つめる先には何があるのでしょうか。見つめた先の未来は、こんな世の中だったのでしょうか。
少年の見つめる先の未来に自分は存在していいのでしょうか。存在しているだけの価値を生み出しているのでしょうか。


■ 関連リンク

▼中日本ネット
http://nakanihon.net/gennbaku.htm
※ケロイドの画像などもページの下部にあるので、そういった画像が苦手な方はご注意下さい。

▼BS-i
http://www.bs-i.co.jp/main/documentary/show.php?0077
原爆の夏 遠い日の少年~元米軍カメラマンが心奪われた一瞬の出会い~

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コメント

この写真をTVで初めて見たとき、ほんとに涙が止まりませんでした。この少年がこの時何を想っていたのか、戦争とはなにか、最愛の肉親を亡くした今、どう思っているのか・・・・等を考えたら本当に涙が止まりません。今はこんな時代で、ほしいものがすぐ手に入り、私自身もなにも不自由はしていません。けどこの少年のこの悲しみ、喪失感は誰に伝えたらいいのでしょうか?誰を責めたらこの苦しみはのりこえられるのでしょうか?この少年が現在元気に生きていたとしたらこの世の中をどぅ想うでしょうか?せめて、この少年が現在幸せであることを願うばかりです。

投稿: | 2004.08.15 20:58

コメントありがとうございます。

戦争に関する写真はいろいろありますが、自分が一番衝撃を受けたのがこの一枚です。
この一枚は、戦争の悲惨さを写し取った他の写真とは性質が違うように感じます。それは、日本人としての気高さを感じるからです。

この少年の姿は、厳しかった父親や学校の先生と重なり自分自身の心の中を見透かされている気がします。
世の中をよくするために何をすべきか考えなさいと言われている気がします。

投稿: すきま | 2004.08.17 10:12

初めまして。
僕は南山高校男子部の者です。
去年かその前ぐらいに僕らの先輩がジョー・オダネル氏が撮影した「焼き場に立つ少年」の、実在の人物がどこにいるのか捜したいということで、ジョー・オダネル氏をお招きして、隣の南山教会で講演をしていただきました。

実質的に招聘を担当した先生の話によると、オダネル氏のホームドクターが「日本?そんなに遠い国に行くの、だめですよ。」と言われたそうで…ファーストクラスを用意してお招きしました。
その時から既に“死にそう”だったそうです。

そして講演ですが、声が非常にぐちゃぐちゃして、弱々しかったことを記憶しております。
通訳の方がいらっしゃったので理解には支障を来しませんでしたが、印象深かったです。
そしてその年の文化祭で、オダネル氏がそれまで、ご自身の記憶からも、そして物理的にも封印してきたトランクの中にしまいこまれた大量の写真の一部をお借りして、「トランクの中の写真展」を開きました。
沢山の方に来ていただきました。
平和の尊さがより多くの方に伝わっていったことを、心より願っています。
それこそが、オダネル氏の願いであり、彼の存在した理由だと信じています。

投稿: qwe5rt6y | 2007.08.11 16:51

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